チリ銀養殖の歴史。日本人がチリに銀鮭を持ち込みました。

日本で人気絶大なチリ産の銀鮭。

「チリギン」の愛称で親しまれています。

チリ銀養殖の歴史。日本の協力で始まった!

そんな大人気のチリ銀ですが、日本の協力でチリでの養殖がはじまったのです。もともとサケ類(サーモン)がいなかった南半球のチリにシロザケを定着させたい、とプロジェクトが始まりました。

以外、詳しくみていきましょう。

春に鮭を食べたい日本と地域活性化したいチリの思惑が一致

北半球の鮭の旬は秋です。
日本政府はタンパク源である鮭を国民に年間を通じて供給したい、という思いがありました。

当時から冷凍技術はありました。しかし、日本の鮭を年間を通して在庫しておくのは、劣化や資金繰りの問題があります。そこで南半球からの鮭輸入を模索しはじめました。

また、チリ政府も所得の低い南部地方の産業を探していました。

また、チリは餌であるアンチョビ(いわし類)などが豊富に手に入ります。
こうして両国の思惑が一致したのです。

その後、JICAやマルハ大洋(マルハニチロ)などが動き出しました。

南半球にシロザケを定着させたい

当初、チリにシロザケ(新巻サケ)を定着させようとしました。卵を日本から持ち込み、チリで孵化させて放流しました。

しかし数年たっても、ほとんど戻ってきませんでした。

代わりに日本人が好きな紅鮭を放流し、定着させようとしました。しかし紅鮭もうまく定着しませんでした。

サケの放流から徐々に養殖へシフト

サケの放流は何度も失敗しました。

一方、孵化場ではある程度サケを育てることが出来ていました。

ある時、このまま放流せずに養殖したらよいのではないか?となりました。

こうしてチリでのサケ養殖が始まったのです。

銀鮭がチリでの養殖に選ばれた理由

それではなぜ銀鮭がチリでの養殖に選ばれたのでしょうか。

銀ザケは淡水の生活期間が長めで育てやすい

銀鮭は淡水の生活期間が長めです。淡水での生活期間が長いと銀鮭を大きくすることができます。大きいと海面養殖に適しています。なぜなら大きな目の網でも逃げられないからです。

小さい目の網ですと波の影響をモロに受け養殖が大変困難になってしまいます。小さいまま海面で養殖するには、目の細かい網が必要です。目の細かい網は波の影響をもろに受けて、破れに繋がります。

なのでサケ(サーモン)養殖は、淡水である程度大きくなるものが適しているのですね。

銀鮭は日本人が好きな紅鮭に味が似ている

チリでの養殖に銀鮭が選ばれたのは、日本人が好きな紅鮭に味が似ているからだそうです。

チリ銀養殖の歴史のまとめ

というわけで、チリ銀の歴史についてみてきました。

まとめると

  1. 日本は秋以外の鮭を求める
  2. チリは地方活性化したい
  3. シロザケ放流、失敗
  4. 徐々に養殖にシフト
  5. 銀鮭は養殖しやすかった

ということでした。

この記事は、以下の本を参考にしました。

チリ銀の歴史について、事情がよく書かれている本です。チリ銀を取り扱う人が持っていると、話に深みがでますのでおすすめです。

参考文献:

南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち―ゼロから産業を創出した国際協力の記録 (地球選書)

参考記事:

チリ銀の歴史
マルハニチロ「サーモンミュージアム」より
https://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/fishery/09.html

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