なぜこういった違いが起こるのか。
今回は食文化について考えてみます。
関東のそばは濃い醤油味で関西は薄い味。狭い日本でなぜフォッサマグナを境に食文化が違うのでしょう。
フォッサマグナとは新潟県の糸魚川から静岡県に日本を横断する地溝帯(大きな溝)です。新潟県側は親不知子知不(おやしらずこしらず)という天下の険(通行しずらい)があります。ここは海まで山岳が突き出していて、道を作ることができません。海から崖が立ち上がっているんですね。だから昔はここを通行する人は波打ち際を歩くしかなく、子供が波にさらわれることもあったそうです。
ここから南に下ると日本アルプス山系があり、ここも容易に通行できません。
静岡県に入るとこちらも天下の険で有名な箱根の山。
つまり容易に通ることができなくて、東西で文化的な交流がなかったんですね。昔は。だから東西で独自の文化が発達したのです。
それともう一つ。関東以北というのは鮭の文化なんですね。
鮭が川を遡上するのは日本海側は新潟県の糸魚川くらいまで、太平洋側は千葉県くらいまで、と言われています。
日本海側でも新潟県の糸魚川までは鮭の文化で富山県へいくとブリの文化です。
面白いのは鮭もぶりも塩漬けにしたり、寒風で干したりして保存をきかせる共通点があること。
もちろんほかの魚でもやりますが、大型の魚で塩漬けにしたり干したりするのは鮭とブリのほかにはタラくらいしか思いつきません。
新潟県のお魚屋さんは秋から冬にかけて鮭の寒風干しを軒先へぶら下げているところがあります。
富山県のお魚屋さんはぶりの寒風干しをぶら下げています。
こうしてとれる魚によって文化が変わってきます。
焼く以外の調理方法も違いますし。
ブリは鮭ほどは保存がきかないと思います。
脂が乗っていますしね。
鮭は昔は川に遡上したものを捕まえていたと思われます。
そうすると脂というものがないんですね。卵や生殖に栄養を取られますから。
結果酸化しやすい脂が少ないので保存がきく、というわけです。
こうして東日本では食糧調達がしやすく、西日本ではほかの方法で食糧調達しなくてはいけなくなったと考えます。
これが西日本での料理の発達につながった、と考えます。
また、西日本、特に関西地区は武士の文化が時代とともに薄れ、公家や商人の文化が花開き、結果食文化が発達した、とも考えられます。
また、武士の文化圏である関東は汗をかくので塩辛いものをとる必要があった、あるいは気候が寒いので体の塩分濃度を上げて対応していた、とも考えられます。
いまは新幹線のおかげで東西の文化の差は昔ほどではなくなりましたね。
でも関東の人は関西へいくとおもしろい発見があります。
関西の人は関東へ行くと、これまたおもしろい発見があります。
北陸新幹線も出来たことですし、いろいろと旅をしましょう!
まだまだ日本も捨てたものではないですよ。
いつまで関東で消耗してるの?